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大阪市北区(旧・大淀区)、中津三丁目。  梅田都心部のすぐ裏手にあって両側から高層ビルが見下ろすここは奇跡的に戦災に遭わず、開発からも免れ、 いまでも長屋と路地が構成する時間の止まった町です。    一度、散策にお越しください。懐かしい風景がここには日常の姿としてあります。      ここにある長屋の一軒を全て手作りで再生して カフェ・アート・イベント・地域コミュニティ・ギャラリースペースを造る計画を進行中です。 (リノベーション期間、2008年3月~7月)   一つのスペースが出来上がる過程そのものも、イベント・ワークショップとして行っています。    興味を持たれた方、是非ご協力をお願いします。詳細は各ログをご覧ください。     【 代表 ・ 椿 (朗読詩人 / "AWC " ALL WORDS COA PROJECT 代表) 】      ★ 改装の見学だけでも大歓迎です!

2008年04月21日

中津出身の著名人

【中津出身の著名人】

佐伯祐三(画家  明治31年-昭和3年)

明治31年4月、現在の中津2丁目、光徳寺の十三代裕哲の次男として生まれる。中津尋常小学校、北野中学校(現北野高等学校)、東京美術学校(現東京芸術大学)油絵科卒業。在学中は、中村つねの画風に影響を受けたところが見られる。大正13年妻子を連れてフランスへ渡り、ブラマンクの指導によって画風が急速に変わる。主としてパリの街景や、近郊の古い壁の家などを描いたが、その作品は佐伯独特の鋭い感覚と繊細な叙情をひそめる独自の画境を展開し、ブラマンクとはまた異なるものがあった。大正14年、サロン・ドートンヌに「コルドヌリ」「煉瓦屋」が入選、英・伊を旅行して翌15年帰国、二科展に滞欧作品19点を特別陳列した。  昭和3年パリ郊外の病院で死去。遺骨は光徳寺の佐伯家の墓に納められている。代表作は、「ノートルダム寺院」「サンタニス教会」などパリ風景を描いた数々の作品と、人物画では没年に描いた「郵便配達夫の像」がある。昭和63年光徳寺内に佐伯祐三の顕彰碑が建立された。


森本薫(劇作家・演出家・翻訳家・ほか  明治45年-昭和21年)

明治45年6月、現在の中津6丁目で生まれる。生家の裏を大正3年8月から阪神北大阪線(昭和50年廃止)が通るようになり、その騒々しさを嘆く様子が初期の戯曲「一家風」に表れている。中津第二尋常小学校(現中津南小学校)から北野中学校(現北野高等学校)・第三高等学校(現京都大学)を経て京都帝国大学文学部英文科入学、第三高等学校のとき山本修三の影響を受け、のち岩田豊雄(獅子文六)に師事した。京都帝国大学在学中の昭和9年「劇作」の同人に加わり「みごとな女」「わが家」「華々しき一族」などを発表した。岩田豊雄が激賞する「みごとな女」一幕は、文学座で上演、新劇界に新風を吹き込んだ。このほか「かくて新年は」「衣装」など在学中次々作品を発表し、その華麗な人間模様と機知にあふれた清新な戯曲が、作者の早熟ぶりとともに注目を浴びた。昭和12年大学を卒業、同年文学座に入り、以後「富島松五郎伝」の脚色、「怒涛」「女の一生」などの戯曲をはじめ、翻訳・ラジオドラマ・映画シナリオの執筆など、多彩な活動を展開した。  生家ゆかりの中津2丁目、中津公園の一角に昭和61年5月、森本薫文学碑が建立された。自然石の文学碑には、「女の一生」の一節が刻まれている。
墓所は京都市上京区一条通御前通西入の成願寺。


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