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大阪市北区(旧・大淀区)、中津三丁目。  梅田都心部のすぐ裏手にあって両側から高層ビルが見下ろすここは奇跡的に戦災に遭わず、開発からも免れ、 いまでも長屋と路地が構成する時間の止まった町です。    一度、散策にお越しください。懐かしい風景がここには日常の姿としてあります。      ここにある長屋の一軒を全て手作りで再生して カフェ・アート・イベント・地域コミュニティ・ギャラリースペースを造る計画を進行中です。 (リノベーション期間、2008年3月~7月)   一つのスペースが出来上がる過程そのものも、イベント・ワークショップとして行っています。    興味を持たれた方、是非ご協力をお願いします。詳細は各ログをご覧ください。     【 代表 ・ 椿 (朗読詩人 / "AWC " ALL WORDS COA PROJECT 代表) 】      ★ 改装の見学だけでも大歓迎です!

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Posted by オオサカジン運営事務局 at

2008年04月21日

ブログ開設!

みなさん、これからよろしくお願いします!

詳細情報は各カテゴリをご覧ください。  


Posted by tsubaki at 22:37Comments(2)blog

2008年04月21日

場所はここ

〒531-0071 大阪市北区中津3-18-4

【アクセス】
阪急中津駅東口徒歩1分
御堂筋線中津駅2番出口から北スポーツセンター方面へ徒歩2分
阪急梅田駅徒歩7分
JR大阪駅徒歩10分

http://map.yahoo.co.jp/pl?lat=34%2F42%2F29.481&lon=135%2F29%2F44.527&layer=0&sc=1&mode=map&size=l&pointer=on&p=&type=static&CE.x=501&CE.y=477

中津中央公園の前「西村花園」に向かって左側の路地を入って2軒目です。

開場前のリノベーション期間中は、お越しの前に画面右下のメッセージボタンでご連絡ください。(できれば前日までにご連絡をお願いします)
mixiユーザの方はこちらから椿あてにメッセージをください。
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=279849
  


Posted by tsubaki at 22:33Comments(0)場所はここ

2008年04月21日

空間ができるまで

リノベーション・コンセプト紹介

***** 以下決定事項。追加提案随時募集 *****

お金をかけず、業者に頼らず、アートスペースを造っていこうという計画です。
築年数不明(80年以上)で全体にかなりの損傷がありますが、
幸い基本構造は問題ないので、(長屋だから強い)
電気・ガス・厨房・上下水道・屋根瓦・トイレ以外の部分は全て手造りで仕上げていきます。
ご協力をお願いします。皆さんの仕事が恒久的に残ります。


【名称】
1階: 中津Area Station
2階: 中津三丁目美術館

【内容】
★カフェ・レスト(1階)
★イベントスペース(1階)
★レンタルギャラリー(1階・2階)
…利用料無料
★委託販売スペース(1階・2階)
…利用料無料
★無料ネットスペース(1階・2階)
…いらないPCがあったらください。古くてもいいです
★壁面アート・天井アート(店内外ほぼ全体)
…先着順です。早めに来て場所を確保してください
★『あかりずむ』展示(店内外の照明)
…あかりずむとは→(mixi)http://mixi.jp/view_community.pl?id=126449
★貸教室など(2階)
…先着順です。条件相談
★囲碁、将棋など(2階)
…ほか、オセロ、トランプetcいらないものがあったらください
★大淀自然干潟資料展示(1階庭・2階)
★AWC (ALL WORDS COA) 本部
…AWCとは→(mixi)http://mixi.jp/view_community.pl?id=175527
★Tv-Woo中津支局
…ここで撮影して自分のネットテレビ番組を持てます。(有料)



【リノベーション開始日】
2008.3月1日(土)
【工事完了】
121日目: 6月29日(日)
【プレOpen(本オープンと同様の営業)】
7月1日(火)~8月1日(金)
【Open】
155日目: 8月2日(土)

【途中・記念イベント日】
※企画募集。これは主要な日程です。他の日程でも常時先着順で企画受付中。


99日目:  6月7日(土)
100日目: 6月8日(日)
105日目: 6月13日(金)
106日目: 6月14日(土)
107日目: 6月15日(日)
113日目: 6月21日(土)
114日目: 6月22日(日)
120日目: 6月28日(土)
121日目: 6月29日(日)



★★★★★
謝礼について。
全くのボランティアでお願いというものではありません。
お手伝い頂いた場合、不要品を頂いた場合は、各回ごとに(一度でも)
オープン後飲食に利用できる有効期限なしのチケットを進呈させていただきます。
(チケット未完成のため、配布は5月以降となりますがご了承ください。)

★★★★★
不要品はありませんか。どんなものでも。
古い家電などもお持ちでないですか。リサイクル料を払って捨てるなら譲ってください。
運びにくい物は取りにいきます。

★★★★★
縁側に4畳半ほどの庭を作ります。
ガーデニングしたい方、是非。先着順です。

★★★★★
ほか、
皆さんの得意分野が必ず何らかの形で役立ちます。
どうぞよろしくお願いします。


※ 以上は2008年4月21日現在のものです。工事は部分ごとに順次完了していきます。  


Posted by tsubaki at 22:28Comments(0)空間ができるまで

2008年04月21日

中津三丁目を知ろう

★ 中津3丁目とはどんなところか

JR・阪急・淀川に囲まれた、十三大橋南東に位置する数百世帯の小さな町。
分断されたような位置のため都市開発者側から見ても旨みがなく、
淀川堤防に沿って高速道路延長の計画はあるものの一般幹線道路は1丁目(RAMADA・三井アーバンホテルの向い)、5、6、7丁目(阪急中津西口からスカイビルの手前まで)
に集中したため住宅地内には都市計画道路がない。工場・運輸・商業地帯への運送ルートにも当らないので騒音もない。
繁華街からは離れており治安も悪くない。
市の調査でも、大阪市北部(中央大通より北)で昭和中期の町並みが密集して残っている地域はこの中津3丁目だけとされている。
長屋と路地が構成する懐かしい雰囲気は家屋が朽ち果てるまで残り続ける。
梅田の都心部から路線距離1km、直線距離500mという位置にあってこれは奇跡的な条件と言える。
(遮断してくれた線路と堤防には感謝するほかない…)

現在行われている大阪駅北側、旧JR貨物駅を中心とする24haの通称「北ヤード開発」の第1期街開きは2011年。(最終、第2期は2015年と言われている)
大都市開発が阪急中津駅を挟んで反対側までせまることで、歴史を持った町としての貴重性はさらに高まるだろう。

*****

中津という地名と大体の場所は関西人なら誰でも知っているでしょうが、
3丁目の町並みを知っているのは地域住民とまだ一部の人達だけのようです。もったいない。


住民の方の多くはこの町がいつまでも残っていくことを望んでいます。
高層化・都市化で希薄になっていくばかりの人間関係、壊れていく街ではなく町と人との関係もここにはごく普通に、演じているわけではなく日常の風景としてあります。
北区内を下町探しにくまなく歩こうと思って2ヶ月目、偶然ここを見つけたとき一番驚いたのは、古くからの町にありがちな閉鎖性がないこと、
盛り上げたいという意欲があること、それに期待していること。

まちづくりとか町おこしは一部の、実は根本には閉鎖性を持った矛盾行動のマニアがするものではない。
その意味ではここは住民全体が、子供に至るまで、プロデューサと言える。
これがわかった瞬間からもう場所はここ以外に考えられない。となってこの計画をスタートさせた。
地域そのものと一体になって盛り上げていきたい。もっと良くする。何を良くするのか?では悪かったことは何なのか?そんなことも考えながらやっていきたい。
実際にそういう課題もたくさんあるから。
回りを見ずに一人でやっていくのは適さない。というかそういう人はここには来ないが。
相乗効果という言葉がまるごとキーワードになる。

そして何より、知らなかった人にここを教えたい。
変わったな言い方をすればこの昭和の町を知って現在の生活に生かして実感してなお勉強して好きになってしまいには居ついてほしい。

それに、アート活動にはこういう町が一番似合う。
なんでかって、話す人がいくらでもいるから。
  


Posted by tsubaki at 22:21Comments(0)中津三丁目を知ろう

2008年04月21日

中津商店街

【中津商店街】

中津Area Station / 中津三丁目美術館 のすぐ東側。

三丁目中心部にある中津商店街は店舗数、百数十。かつては歩きにくいほどの人出で賑わっていたそうだが 周辺地域にできた大型スーパーに押されて閉店が相次ぎ、今では一部が営業を続けているのみ。
「シャッター商店街」のようになってしまっているがほとんどが店舗兼住宅のため居住人口はさほど変っていない。  今後の復活が期待される。
  


Posted by tsubaki at 22:19Comments(0)中津商店街

2008年04月21日

中津の歴史

【中津の歴史】

明治22年4月、市制・町村制が施行された時に、小町村の合併・統合により中津村として発足した。名称の由来は旧中津川(現淀川)の南岸にあったところから。その後明治44年2月、中津町に昇格し、大正14年4月大阪市の第二次市域拡張により東淀川区西成郡中津町となる。
昭和18年4月に大阪市の15区制から22区制への増区により大淀区中津となり、平成元年2月北区との合区により現在の表示となる。

「中津川」
明治末の淀川つけかえ工事で、中津川はそのほとんどが新川(現淀川)の河川敷か廃川とされ、幻の川となっている。今では古地図でしか見られない。

「中津運河」
現淀川の掘削土砂の不要土砂を放棄するための水路として、左岸沿いに開削されたもの。運河のコースは、毛馬閘門から分岐して淀川左岸沿いに中津~海老江を経て伝法まで延長5.9km。運河はその後農業・工業用水路・舟運など幅広く利用されていたが、昭和42~46年の正連寺川利水事業により埋め立てられた。

「大淀区」
淀川左岸に沿って、現在の梅田スカイビル北側から中津・豊崎・本庄・天神橋(7、8丁目のみ)、長柄を通って都島の毛馬水門手前までの東西に長い範囲に大淀区という名称の区が存在し、総面積の過半数は古い木造の下町、戦前の建物も多く残っていた。
昭和50年代後半からの都市開発による移動で人口が急激に減少し、
平成元年2月、北区との合併により消滅した。
  


Posted by tsubaki at 22:16Comments(0)中津の歴史

2008年04月21日

中津出身の著名人

【中津出身の著名人】

佐伯祐三(画家  明治31年-昭和3年)

明治31年4月、現在の中津2丁目、光徳寺の十三代裕哲の次男として生まれる。中津尋常小学校、北野中学校(現北野高等学校)、東京美術学校(現東京芸術大学)油絵科卒業。在学中は、中村つねの画風に影響を受けたところが見られる。大正13年妻子を連れてフランスへ渡り、ブラマンクの指導によって画風が急速に変わる。主としてパリの街景や、近郊の古い壁の家などを描いたが、その作品は佐伯独特の鋭い感覚と繊細な叙情をひそめる独自の画境を展開し、ブラマンクとはまた異なるものがあった。大正14年、サロン・ドートンヌに「コルドヌリ」「煉瓦屋」が入選、英・伊を旅行して翌15年帰国、二科展に滞欧作品19点を特別陳列した。  昭和3年パリ郊外の病院で死去。遺骨は光徳寺の佐伯家の墓に納められている。代表作は、「ノートルダム寺院」「サンタニス教会」などパリ風景を描いた数々の作品と、人物画では没年に描いた「郵便配達夫の像」がある。昭和63年光徳寺内に佐伯祐三の顕彰碑が建立された。


森本薫(劇作家・演出家・翻訳家・ほか  明治45年-昭和21年)

明治45年6月、現在の中津6丁目で生まれる。生家の裏を大正3年8月から阪神北大阪線(昭和50年廃止)が通るようになり、その騒々しさを嘆く様子が初期の戯曲「一家風」に表れている。中津第二尋常小学校(現中津南小学校)から北野中学校(現北野高等学校)・第三高等学校(現京都大学)を経て京都帝国大学文学部英文科入学、第三高等学校のとき山本修三の影響を受け、のち岩田豊雄(獅子文六)に師事した。京都帝国大学在学中の昭和9年「劇作」の同人に加わり「みごとな女」「わが家」「華々しき一族」などを発表した。岩田豊雄が激賞する「みごとな女」一幕は、文学座で上演、新劇界に新風を吹き込んだ。このほか「かくて新年は」「衣装」など在学中次々作品を発表し、その華麗な人間模様と機知にあふれた清新な戯曲が、作者の早熟ぶりとともに注目を浴びた。昭和12年大学を卒業、同年文学座に入り、以後「富島松五郎伝」の脚色、「怒涛」「女の一生」などの戯曲をはじめ、翻訳・ラジオドラマ・映画シナリオの執筆など、多彩な活動を展開した。  生家ゆかりの中津2丁目、中津公園の一角に昭和61年5月、森本薫文学碑が建立された。自然石の文学碑には、「女の一生」の一節が刻まれている。
墓所は京都市上京区一条通御前通西入の成願寺。   


Posted by tsubaki at 22:14Comments(0)中津出身の著名人

2008年04月21日

大淀自然干潟

【大淀自然干潟】

中津が面している部分の淀川河川敷。
ここは流域でも例を見ない幅の広い沼質の上に葦が生い茂っており人間は立ち入れない。
そのため貴重な生物が多く生息しているが、このことは意外に知られていない。
海水と淡水が混じる汽水域でもあり、この周辺でしか見られないものも多い。

しかし・・
人間が立ち入れないから、投棄されたゴミも簡単には取りに行けないのです。
ここがどんな場所なのか、実はごく身近にある自然のことをもっと広く知らせなければならないと思います。


※ 一応の名称は「淀川左岸中津地区」。「大淀自然干潟」は椿が勝手にそう呼んでいるもの。
  


Posted by tsubaki at 22:13Comments(0)大淀自然干潟